YouTubeチャンネルブラックマーシーがチャンネル名を変更しました。
その名もズバリ、ONENESS CARETAKER(ワンネス・キャリーテイカー)になります。
今回は、そんなブラックマーシー改めワンネス・キャリーテイカーとホーミーKEIさんのことを紹介します。
逮捕後ブラックマーシーからホーミーケイ!?チャンネル名変遷まとめ
それでは、早速、YouTubeチャンネルを見ていきましょう。
チャンネル名
ONENESS CARETAKERとなっています。
チャンネル登録日
2015/07/26に登録となっています。
※田代まさしさん逮捕を受けてチャンネルを引き継いでいますから、ここはブラックマーシーと同じです。
登録者数
8.13万人となっています。
動画本数
88本となっています。
総再生回数
総視聴回数は、1529万8696回となっています。
チャンネル名ONENESS CARETAKERとは?
そもそもマーシーこと田代まさし逮捕を受けて、HOMIE KEIさんが引き継いだ形になります。KEIさん登場当初のチャンネル名は、そのままブラックマーシーになっていましたが、その後、現在のチャンネル名に落ちつきました。
チャンネル名の変遷は
となっています。
ちなみに、ONENESS CARETAKER(ワンネスキャリーテイカー)とは。
CARETAKER→留守番。引取人。管理人。
といった意味になります。
チャンネル内容
チャンネル引継ぎ当初は、HOMIE KEIさん一人で出演していましたが、2020年5月8日配信に佐藤秀光さんが復活しました。
チャンネル概要欄を引用します。
ワンネス(全てはひとつである)
社会の皆様に何か小さな事でも大きな事でも貢献できる様、ワンネスグループ代表 KEIさんとブラックマーシースタッフとCOOLSリーダー秀光さんと皆でワンネスになって行きたいと思います。
ブラックマーシーからワンネスマーシーにチャンネル名も変更致します。
今後とも皆様のご支援を何卒よろしくお願い申し上げます。
ちなみにサブチャンネルも作っているようです。まだ動画は1本もありませんが、このメインチャンネルONENESS CARETAKER(ワンネス・キャリーテイカー)に何かあった時の為に開設しているそうです。
HOMIE KEIとは何者?
ブラックマーシーを田代まさしさんや佐藤秀光さんメインで観ていた方にとっては、「は??HOMIE KEIって誰??」となるかもしれません。
そんな方のために簡単にではありますがHOMIE KEIさんのことを紹介します。
ひとまずチャンネル概要欄から引用します。
HOMIE KEI [プロフィール]
1961年、東京・中野生まれ。
中学時代にグレはじめ、暴走族を経てヤクザの道へと進む。
ヤクザ時代に大成功を収めるも、ハワイでFBIのおとり捜査にはめられ、ロサンゼルスを始め、サンフランシスコ、オレゴンなどの刑務所を転々とし、10年以上服役。
出所後は、アパレルブランドを立ち上げ、日本のチカーノ・ブームを牽引。
米刑務所内での経験や勉強を生かし、ボランティア団体『グッド・ファミリー』を設立し、現在はNPO法人化された。
青少年育成に関するカウンセラーとしての講演も多数。
これまで『KEI チカーノになった日本人』『アメリカ極悪刑務所を生き抜いた日本人』が出版され、別冊ヤングチャンピオンにて『チカーノKEI』の原作者として連載を続け、単行本も発売。
本名
井上ケイ、さんとのことです。
ホームページ
KEIさんのホームページがあります。
KEIのYouTubeチャンネル
KEIさんには、もう一つ個人でやっているYouTubeチャンネルがあります。
ワンネスグループ
KEIさんは、一般財団法人ワンネスグループ 茅ヶ崎オフィス代表に就任しています。
ドラッグ・アルコール・ギャンブル・ゲームなど様々な依存症からの回復支援や、依存症・引きこもりの家族を持つ方のケアや関わり方の支援を行っているそうです。
2020年10月、辞めたそうです。
まとめ
ONENESS CARETAKERとHOMIE KEIさんを紹介しました。
YouTubeチャンネルブラックマーシーは、マーシーこと田代まさしさん逮捕を受けてHOMIE KEIさんが留守を預かっています。そのためチャンネル名を英語でONENESS CARETAKERとしています。日本語でわかりやすく言うと、「みんなで一丸となり、マーシーの留守を預かる」という意味だろうと思います。
ただ留守を預かっている途中で様々なトラブルが発生しました。
その後もうマーシーは帰ってこないと判断したのか、チャンネル名がKEI familyに変更されました。田代まさしさんは出所してからこのチャンネルに戻ることはなく、チャイさんのチャンネルに出ています。
このチャンネルのフィクサーは彫りひと氏だったとのことです。