関東連合を知っていますか?
関東連合に関しては、警察やマスコミの報道や、はたまた故・柴田大輔氏や瓜田純士氏の著書で何となく知っている方も多い事でしょう。
関東連合とは、これまで世間一般的には見立真一氏をリーダーとする六本木フラワー事件を起こしたグループの事だと言われてきました。
しかし、元渋谷のチーマー宇田川警備隊6代目リーダーであり、関東連合のリーダーでもあった小山恵吾さんが語るところによると、本当の関東連合というのは実は全く別物なのだそうです。
今回は、そんな小山恵吾さんが語る真実の関東連合について紹介します。
元リーダー小山恵吾が語る真実の関東連合とは?
これまで関東連合といって思い出すのは、故・柴田大輔氏の著書いびつな絆 関東連合の真実に代表されるような見立氏をリーダーとした暴走族を主体とした連合体でした。
しかし、小山恵吾さんに言わせれば、それはただの杉並・世田谷グループなのです。※真実の関東連合については、日本のタブー4.0という書籍のインタビュー取材の様子を撮影した1~11まである一連の動画シリーズ(※現在、非公開)で詳細に語られています。
本当の関東連合とは、文字通り東京都内はもちろん横浜や千葉や埼玉まで広がる大きなグループであり、主体は暴走族ではなくチーマーだったのです。
次に、なぜ関東連合という大きなグループが出来たかについて、その発端について見ていきましょう。
関東連合創設の経緯は映画『代打教師・秋葉真剣です』
意外と思われる方も多いでしょうが、関東連合の創設には一つの映画が深くかかわっています。
それこそが、1991年公開の吉田栄作主演の映画である『代打教師 秋葉真剣です』だったのです。
この映画の時、暴走族・小次郎の川奈毅氏、ブラックエンペラーのモリ氏、極悪から宇田川警備隊3代目リーダーになった高山尚基氏を中心にして、はじめて関東中の不良たちが出演者(エキストラ)として集まったことで関東連合が創設されたとの事です。
次に、この関東連合初代リーダーが誰になったのかを見ていきましょう。
リーダーは3代目宇田川警備隊の高山尚基
上記のように映画をきっかけにして、関東連合は小山恵吾さんより6歳上の川奈毅氏とモリ氏と高山尚基氏を中心に結成されました。
初代リーダーは高山尚基氏になったそうです。理由としては、川奈氏と高山氏がケンカをして高山氏が勝ったからとの事です。
その後、高山氏がリーダーを務めていた宇田川警備隊が関東連合の頭のチームとして代々関東連合のリーダーも引き受ける流れになったようです。
小山恵吾さんは、関東連合リーダーとしては2代目か3代目との事でした。
時系列で見る関東連合
冒頭で述べたように世間一般では、関東連合と言えば六本木フラワー事件を起こした見立真一氏・松嶋クロス氏・柴田大輔氏・石元太一氏などのグループを思い浮かべる方が多く、小山恵吾さんの語る本当の関東連合を否定する人が多くいます。
この事の原因については、動画のインタビュアーである西京氏が的を射た発言をしています。
関東連合は3期に分けられることが要因としてあるのです。
↓断絶
2期目:1992年~1997年頃まで。宇田川警備隊を中心にしたチーマーの連合体としての関東連合。※1991年、映画により関東中の不良が集まり、関東連合が結成。
↓断絶
3期目:2003年~2012年まで。半グレとしての関東連合。※1990年代後半、六本木クラブ襲撃事件の主犯格となる見立真一や松嶋クロスなどが「第22代永福町ブラックエンペラー」を勝手に名乗り再結成。
小山恵吾さんが語るチーマー関東連合を否定する方が多い理由としては、まず1960年代末ごろに結成された暴走族ブラックエンペラーを第一期関東連合とし、その系譜として関東連合を暴走族の連合体と見る人が多くいるからでしょう。暴走族の連合体として関東連合を見るなら、チーマーの関東連合はあり得ない話となります。
しかし、ブラックエンペラーの歴史を見てみると、1992年に解散しています。その後、90年代後半に見立氏などが勝手に名乗っていただけであり、当然ブラックエンペラーの歴史に加えられてもいませんから正式な後継者でもありません。→ブラックエンペラーHP
暴走族衰退後、90年代にチーマーの時代がやってきます。時系列で見ていくと、小山恵吾さんは90年代の不良少年史を語る貴重な語り部であることがわかります。小山恵吾さんに言わせると第一期の関東連合も本当は関東連合ではなくただのブラックエンペラーで、第三期はただの杉並グループであり、90年代のチーマーを中心にした関東連合だけが本当の関東連合だという事です。
実は同じような認識をしている人は小山恵吾さん以外にもいます。
元KGB田中雄士の発言
元ギャングチームKGBの2代目リーダーであり現在実業家の田中雄士氏がホーミーケイさんのチャンネルに出演しています。
この時、インタビューアーの女性から「関東連合の人たちとも交流はありますか?」と聞かれた際、田中雄士氏は「もちろんあります」と答えました。
そして「見立氏はどんな方でしたか?」と女性が質問すると、田中雄士さんは「そっちの関東連合は全く知りません。TOP-Jとかです」とはっきり答えました。
TOP-Jとは井上勇氏をリーダーとする渋谷のチーマーですが、田中氏の認識も小山恵吾さんと同じく関東連合とは渋谷のチーマーのことを指すことがわかります。
井上勇氏に関しては、ニュース報道でも関東連合と報じられています。
記事内で、はっきり、こう書かれています。
不正作出支払用カード電磁的記録供用と窃盗の疑いで、住所不詳、準暴力団「関東連合」元メンバー井上勇容疑者(41)を逮捕した。
※しかし、関東連合を記したはずの故・柴田大輔氏の一連の著書には一切井上勇氏の話は出てきません。
まとめ
今回は、小山恵吾さんが語る真実の関東連合を紹介しました。
これまで一般的に関東連合とは、1期のブラックエンペラーと3期の六本木フラワー事件を起こしたグループのことであるという認識がありました。
しかし、小山恵吾さんの登場により、2期の渋谷のチーマーを中心とした関東連合が存在したことも明るみになってきました。
・創設の中心人物は、川奈毅氏、モリ氏、高山尚基氏だった。
・関東連合の初代リーダーは高山尚基氏だった。
・関東連合の頭のチームは宇田川警備隊だった。
・関東連合のリーダーは代々宇田川警備隊のリーダーが引き受けることになっていた。
・小山恵吾さんは、2代目か3代目の関東連合リーダーだった。※モリ氏を2代目とするなら3代目だし、しないのなら2代目ということらしいです。
それにしても、このような新事実が発覚し始めた頃、なぜ柴田大輔氏は自ら命を絶つ道を選んだのでしょうか?柴田氏の死はあまりにも突然のことで、とても不思議な印象を持った方も多いことでしょう。是非、2人で関東連合の認識の辻褄合わせをしてもらいたかったのですが今となっては推測するしかありません。ここからは完全なる妄想になりますが、あり得る話として一つの仮説を提示したいと思います。
(3期の関東連合の語り部であった)柴田大輔氏の死と、(2期の関東連合の語り部である)小山恵吾さんの登場は決して無関係ではないと思えます。
つまり、小山恵吾さんが語るように『本当の関東連合は、もしかしたら90年代のチーマーを中心にした関東連合』なのかもしれないのです。もうそうだとしたら柴田氏が語ったことは嘘になります。それだけではなく、もし関東連合が他にもあったことを知っていたとしたら、共に少年期を過ごした仲間たちだけを関東連合として発表したことで心を痛めていた可能性もあります。意識的にか、ただの間違いなのかはわかりませんが、結果的に自分の仲間たちだけを関東を牛耳っていた半グレの極悪人として世間から後ろ指を指される存在にでっち上げたとも言えます。
もしかすると本当の関東連合とは、少年時代は小山恵吾さん、大人になってからは井上勇氏をリーダーとする渋谷のチーマーを中心とする大きなグループであったのかもしれません。
真相は闇の中のままなのか、それとも元KGB田中雄士さんのように小山恵吾さんの説を補足するような新たな生き証人が現れるのか。
しばらく目が離せません。
※ちなみに六本木フラワー事件で服役中の関東連合元リーダー・石元太一さんがYouTubeチャンネルを開設しました。